VW不正問題発覚当時に書いたポルシェ家とピエヒ家の争いの記事をリライトしたが、改めてその複雑さに驚いた。
参考文献の論説『フォルクスワーゲン社とポルシェ社』をもう一度読み、より簡単に説明をしてみた。
この2社の関係は、やはり「面白い」としかいいようがない。
2008年9月のリーマンショックが起こったころ、ポルシェ社はVW社の買収を進めていて、銀行団から金を借り続けていた。VW社の持ち株(議決権)が50.8パーセントに達したとき、90億ユーロの負債を抱えていたという。
リーマンショックにより、ポルシェが債務超過となることは誰の目にも明らかだった。
そのため、3月22日、ポルシェのヴィーデキング社長、ヴォルフガング(ポルシェSE監査役会長)は、敵対的買収を進めていたVWのトップ、監査役会長ピエヒと、ヴィンターコーン社長に頭を下げた。
今やVWの筆頭株主でありながら、負債を返済できないからだ。
それを解決するためにVWはポルシェ社を傘下に置くことで、筆頭株主であるポルシェ社の負債を軽くしていくしかないのだが、ポルシェと言っても、いろいろなポルシェがあるからややこしい。
まず、
車造りの事業を行うポルシェ株式会社(ポルシェAG)とポルシェ持ち株有限会社(VWの販売会社)がポルシェグループの会社だった。
この二つの会社の100パーセント議決権を持つのがポルシェ自動車持ち株SE(以下、ポルシェSE)で、この会社の100パーセント議決権を持つのが、ポルシェ家とピエヒ家による株主総会だ。
ポルシェAGは創業者のポルシェ博士が作った会社(1931年設立)が基になっていて、ポルシェ持ち株有限会社は1947年設立。
ポルシェの二人の子どもは仲がよく、長女ルイーゼは弁護士ピエヒと結婚し、ポルシェ持ち株有限会社の経営者となった。弟フェリーはポルシェAGの経営者となった。
ただ、どの会社もポルシェ家が100パーセント議決権を持っていたため、遺言では二つの会社をそれぞれ50パーセントずつの持ち株に分けた。つまり、フェリーの継いだポルシェ家がポルシェAGとポルシェ持ち株有限会社の株を半分ずつ、ルイーゼの嫁いだピエヒ家にポルシェAGとポルシェ持ち株有限会社の株を半分ずつということだ。
そのため、両家の株主総会というものが存在し、それぞれの会社の方向性を決めてきた。
それぞれの家は子どもは偶然4名。この第3世代が次のポルシェを担うが、それぞれから3名ずつが開発に参加した。
しかし、ポルシェ家内での兄弟争い、ポルシェ家とピエヒ家での争いがあり、1972年、悪化が進行したためにフェリーとルイーゼが6人を退任させ、ポルシェ家の四男ヴォルフガングがポルシェ株式会社(このときに合資から株式会社へ改組)を継ぐこととなった。
その後、会社を追い出されたルイーゼの子フェルデナンド・ピエヒは、各自動車会社で実力を発揮し、ポルシェ博士の才能を引き継いだ男としてVWのトップにのぼりつめる。
ポルシェ家代表となったヴォルフガングは、そんなピエヒを「ポルシェの名を持たないもの」として軽蔑した。
ポルシェ社とVWは経営的には協力関係にあり、両家が株主となるポルシェ持ち株有限会社はVWの販売会社だ。
そんな関係をヴォルフガングとピエヒは保たなくてはならないが、株主総会では同じ株主として顔を合わす。
90年代に経営不振に陥ったポルシェAGを立ち直らせたのはヴィーデキングという社長(93年昇格)で、30億ユーロにまで達した手元資金で、VW買収は可能だとヴォルフガングを説得した。
VWの株を75パーセントを取得すれば買収は完了する(実際は80パーセント必要だった)という見立てで、銀行との約束も取り付けた。
ピエヒには20パーセントの株取得で、統合経営するという嘘の説明をして、合意を取り付けた。
彼は彼で統合が必要と考えていたが、VWがポルシェの上に立つような形が理想だった。
20パーセントの株式取得ではピエヒの独断に影響を与えることはなく、企業規模拡大は実現される。
しかし、実際はヴィーデキングは75パーセントの取得後に支配契約をし、VWの手元資金130億ユーロを使って返済をするつもりだった。
ポルシェは「買収するつもりはない」といいつつ、密かに株を買い続ける。05年3月で20パーセント、08年10月に「75パーセントまで買う」と発表し、その時点で42.6パーセント、オプションで31.5パーセントとなった。計74.1パーセントだ。
リーマンショックは08年9月だ。09年1月5日、ヴァーデキングはさらに8.2パーセントのVW株を買う。議決権のともなう株は50.8パーセントになったが、負債総額は90億ユーロ。銀行団にすでに余力はなく、債務超過の期限が迫り、ヴァーデキング、ヴォルフガングがピエヒに頭を下げるという事態になったのだ。
「ポルシェを救う」ために、ピエヒは事業部門であるポルシェAGの株を取得し、買収。この資金によって、ポルシェSEという組織のトップに存在する持ち株会社の負債は軽減された。
そして、VWの筆頭株主として両家は再び君臨することになるのだ。
両家としては、ポルシェ主体ではなくなったものの、VWを手にしたということになる。
ポルシェを救ったのは、敵対的買収を仕掛けられたVWであり、本来ならば手を切り、破産させてもよかったはずだが、それはそれでややこしい。ピエヒも鬼ではなかったし、自身も両家の一員だ。
でも、ピエヒは怒っている。秘密裏に敵対的買収を行ったことを。なので、VWの監査役会でピエヒとヴォルフガングが顔を合わせても、ピエヒは無視をした。ヴォルフガングも監査役なのだが、発言権はないのだ。
ポルシェSEの議決権では、ピエヒ家の一人の事業失敗で、ポルシェ家が若干多いという状況になっていた。つまり、ヴォルフガングのほうが力があるのだが、ピエヒは実績でそれを許さなかった。
その状況がヴォルフガングにポルシェ社主導のVW買収に走らせたとも言われている。
まわりからみれば、結局は両家がVWの議決権のともなう株50.8パーセント取得したということだ。
ただ、負債を返済するのに、ポルシェという車を作る会社を買収することで解決した。
ヴォルフガングにとっては涙が出るほどくやしかったらしいが、外から見ると、両家がトップにいることに変わりはない。変わったのは、ポルシェ社のトップとしての発言力を失ったこと。ポルシェSE監査役会会長でありながら、ピエヒ監査役(当時)とヴィンターコーン監査役(当時)にポルシェAGは奪われてしまったこと。
ややこしいが、VWを支配するポルシェSEの前に、両家で開催される株主総会があり、これが全体のトップ中のトップだ。
ディーゼル不正でピエヒは表舞台から下りたが、その後ポルシェSE株を売却したらしい。
それは、両家で100パーセントのあの株ならば、ピエヒは本当にこの争いから下りたということになる。
彼がそれをピエヒ家系に売って、50対50(実際には53対47)の比率を保つのかどうかも知りたいところだ。