フォルクワーゲンの元社長フェルナンド・ピエヒ氏が26日までに亡くなった。
フェルディナント・ポルシェの孫で、技術屋としてグループ関連会社を成長させ続け、93年にVWの社長に就任した。
25日に独バイエルンのレストランで倒れたという。
ピエヒはポルシェの孫だが、純粋培養されてVWのトップになったわけではない。
ポルシェ博士は彼の親兄弟にポルシェの財産を半分づつわけたため、両家(ピエヒの家系とポルシェ長男の家系)の関係がややこしくなり、若き日のフェルナント・ピエヒはポルシェから追放される。
そこから雑草魂で這い上がり、VWの社長となり、最後にはポルシェを子会社にしたのがフェルナントだった。
王様として君臨していたが、ディーゼルゲート事件の直前に会長を辞任。
台数世界一を目指し、絶好調のVWグループは少し歩みを落ち着かせた。
彼が技術屋として実力を発揮したのは、VWの子会社であるアウディのテクニカル・エンジニア部門責任者となってからだ。スポーツカー開発において実力を存分に発揮し、その後は財政難に陥っていたVWの会長となって業績を改善した。