BMWは全車種が「プレミアム」であり、ジャーマン3として確固たる地位を築き、他に手渡す気がさらさらない。
日本でもアメリカでも欧州でも、ドイツ以外では高級輸入車であり、地位のあるビジネスマンの必須アイテムでもある。
果たして、どのようにしてBMWはプレミアムになったのか、なにがプレミアムたらしめるのか。
そう考えると、戦後BMWのイメージでもある、イセッタのような小さな車が、どうして今の興隆へと繋がるのか、興味深い。
BMWは戦前、飛行機のエンジン製造会社として1916年に始まった。中部の町の小さな工場で、軍事車両やオートバイの製造が主だった。1929年にキドニーグリルの元祖となるキドニーラジエーターを搭載したライセンスモデル3/15(スリー・フィフティーン)を製造。自社開発4輪としては3/20 AM 1というクルマを1932年に製造しており、その後開発を続け、37年、328ロードスターによるイタリアのレース「ミッレ・ミリア」の優勝で世間に認められた。
実は、これが欧州プレミアムブランドの基礎となるスポーティ・ヘリテージとなったのだった。欧州では、戦前のレースで活躍していないブランドはプレミアムと呼べないというのだ。
その後、BMWの車は一度プレミアム化している。3/35はこの時代におけるプレミアムで、アッパークラスも納得する上質な内装。それはエレガント、ラグジュアリーだった。
しかし、戦中はドイツ勢にはイメージの悪い記憶しかない。一般への自動車製造を停止し、ナチス政権に協力するのだ。
戦後、工場は東ドイツのアイゼナハにあったため、0からのスタートとなった。1951年に4輪の事業が復活したが、重くて遅く、まさにプレミアムな価格だった大型の車は評判どころか黙殺される始末。
フォルクスワーゲンはビートルという国民車で復活し、ベンツも高級車戦略を戦後から推し進めていたが、BMWは完全にスタートダッシュに失敗したのだ。
1950年代に503、507といった数字のクーペやカブリオレが登場。重いイメージを払拭し、スポーティへと舵をきった。
しかし、経営は芳しくない。
1955年にイセッタをイタリアからライセンス契約で販売し、これが経営を一時的に助けるのだが、1959年には経営危機となり、ダイムラー・ベンツに吸収されそうになった。
が、ギリギリのところで吸収を逃れた(今も株主のクヴァント家による救済)BMWは、リアエンジンのコンパクト大衆車700で復活する。
つまり、今のゴルフのような大衆車でBMWは当時成り立っていたのだ。
プレミアムのプの字もなく、モデルも女性。ただ、BMWのロゴはいつの時代もさわやかでお洒落だ。1962年には小型乗用車1500。1971年には3.0CSが登場。
今もBMWの多くのファンが知っている形になってくるが、成功者のラウンジになるようなプレミアムではない。スポーティだ。
そして、他に真似できないキドニーグリルと目つきの悪さで、今みても胸が熱くなるほどかっこいい。
この写真はレストアされたもので、古びた3.0CSを見るより、当時の美しさが伝わってくる。
※メッキは全て新調され、エンジンも2003年M3が搭載されている。
実際の3.0CSはスポーツクーペで、3.0CSi(キャブレターから電子制御式インジェクションへ)の次に、少数生産となったレース仕様のCSLが登場し、これが現代BMWデザインの元祖(o2シリーズ2002という意見もある)と言われていて、それが6シリーズに流れ、現代に至る。
6シリーズの前に、いわゆるBMWである3シリーズが1975年に始まる。
今のBMWのような、本当に革張りで高級感があり、落ち着きがある佇まいを持っていたわけではない。これは最初のスポーツセダンなのだ。
プレミアム戦略でBMWが車両開発を行っていたというよりは、純粋に新しい技術を追い、「Freude am Fahren」運転する歓びを追究していた。だからこそ、新機能・新技術はよく問題を起こしていた。しかし、その姿勢がファンを生んだのだ。そして、技術開発は車両価格を上げていった。
今のマツダに似ているような気がする。
5シリーズは1972年に始まる。
3シリーズに比べて、アッパークラスモデルと位置づけされていた5シリーズ。
当時のデザインヘッドはポール・ブラク。1970年から1974年までデザインリーダーだった。
インテリアはアメリカの豪華なものに対して、世間の流行でもあったecoがテーマであり、意識的な簡素を目指している。
また、エンジンは当初4気筒で、いわゆるシルキー・シックスではなかった。
1976年のクーペ版と、よりラグジュアリーを意識した6シリーズで採用された。
ここでやっと、今のBMWのようなラグジュアリー設定となり、プレミアム戦略が見えてくる。
ミラーは鏡面でエアロダイナミクスがあるフォルムで、ノーズは長くゆったりとしたラウンジ感がある。
インテリアは電気的なものが増え、緑やオレンジのランプが着く。これは最新感が当時はあったはずだ。コンピュータによる制御というリッチ。
そして、デザインは「シンプル・イズ・ベスト」。それがタイムレス・クラシックとなる。
1980年後半には日本でBMW(ドイツ語読みはビーエムヴィーだが、なぜかベーエムベー、ベンベーと呼ばれた)はステータスとなっていた。
1999年にコンセプトが発表され、2000年から2003年まで一代限りの生産となったZ8(E52)は、さらにBMWの価格帯を引き上げる高級カーとなった。
日本では最終モデルが1660万円。高価格帯なのに、風の巻き込みがあり問題作だったが、デザインは評価が高い。
フォルクスワーゲンのゴルフのように、大衆車を作っていたBMWは、ベンツのような最高級を目指したメーカーではなかった。
それが、1970年代のシリーズ化戦略によって、ラグジュアリーという意識を取り込んだのだ。
3シリーズも5シリーズもまだアッパークラスを目指していただけで、今のようなプレミアム感はなかった。
もしかしたら、プレミアムという枠に自らが雁字搦めになっているのが今のBMWかもしれない。
でも、だからこそ今の地位を保守できている。
また、現代のBMWはプレミアムとラグジュアリーという言葉を使い分けていて、基本的には無駄のないプレミアムを使うらしい。
また、伝統に頼りすぎないということだが、「らしさ」にこだわるところはよっぽどトヨタより伝統に頼っている。
そして最後に、たぶん見終わったあとに最初のころのBMW3シリーズのファンになっている映像。