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アクセラのデザインに隠されているのは、タオイズムとミニマリズム。

もともと評判の良いアクセラだが、今回の新型も相当、海外でのウケは良さそうだ。

セダンはクーペとセダンを一緒にしたファストバックとして認識されていて、ハッチバックはアクセラらしいとして売れ筋を予想されている。

話題になっているのは当然、セダンとハッチバックのサイドと、ハッチバックのCピラーの部分。

エッジの効いたラインをどう作るかというのは各社が常に意識していて、それを無くしたのだから、個性を無くしたと言ってもいいほどのチャレンジなのだ。

しかし、エッジがないからといって平面にしたわけではなく、ゆるい曲面をいくつも作っている。

今後はその曲面をどう展開するかというやり方で各車を設定していくのだが、コンセプトとしてはまわりの風景を映し出し、「借景」とすることが決まりとなっていて、これは鏡面的な塗装技術が進化したおかげでもある。

 

また、最近ではマツダはミニマリズムの考えをデザインに取り入れているので、まず無駄を削ぎ落とすことに心血を注いでいる。

そうして面を中心とした造形になっていくのだが、今度はそうするとそこに映り、流れる風景が美しかった。

造形のエッジそのものよりも、映ったものが美しいというのは、タオイズム(道教)や禅の考え方だ。

 

タオイズムでは例えば、グラスそのものよりも、グラスが作る空間が大事だと説く。

美しく味わいと香り豊かなワインが注がれるであろう、空の間。

建物の形そのものよりも、壁と屋根で生まれた空の間。

車のエッジそのものよりも、風景を受け入れる空の面。

 

これはまったく東洋的な考え方で、西洋では部屋の中を造形物で埋め、具体的な美をアピールするが、茶室ではあえて空間にすることでゲストの想像力を招き寄せる。

アクセラは見る人が見ると、まったく違う造形物に見えてくるのだ。

まわりの風景によって表情をふんだんに変える、アートのような塊。

 

昔の車の造形には、曲面があった。

たとえば、ボンネットからサイドにかけて曲面だらけの 1964 Ferrari 250 GTO。

影、光、木々、建物によって、走るクルマのボディはさまざまな表情をみせる。

色は変化し、深くも明るくもなる。

車がこういった反射するボディと塗装、曲面を持っていた時代はやがて終わり、フラットや反射しない素材、塗装が増えていく。

最近ではまったく反射しないマット塗装もある。

マツダが行っている車作りは、意図をしているのかどうかはわからないが、250GTOのようなクラシックな時代を復古することになる。

すでに、ロードスターは曲面で作り、マシングレープレミアムメタリックとソウルレッドクリスタルメタリックという塗装によって風景を反射し続けている。

 

最後に、ハッチバックよりはエッジが立っているセダンのマシーングレー。

サイドに映る人の足さえ美しく見える。